缶コーヒーで!顕微鏡で!

鍋つかみ
子ポンたんは缶コーヒーが好きです。

子ポンたんが、缶コーヒーを飲んで、もれなくもらえる「鍋つかみ」をゲットしてくれました。

だいぶ前に応募ハガキを出したので、すっかり忘れていたら、今日、届きました。

真っ赤なミトン!

嬉しいヾ(@⌒ー⌒@)ノ


50年前、親に顕微鏡を買ってもらって、その景品で望遠鏡が当たったことを思い出しました☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

ポンたんは、この人生、かなりくじ運の悪いほうなのですが、これは大当たり!

顕微鏡買って、望遠鏡がついてきたんですよo(^_-)O


合成皮革の円筒のケースに入った三段式で伸びる望遠鏡!

アパートの庭の木々に焦点を当てると、その葉の一枚、一枚まではっきりと見える…
砂場で遊んでるお友達の表情も部屋の窓からはっきりわかる…

家族でハイキングに行く時には、リュックにぶら下げて、遠くの何を見るという必要性も無いのに、姉と二人で覗いていました。

覗けば、それなりに何か楽しいものを見つけることができる不思議な望遠鏡!

変なことには使いませんo(`ω´ )o

純粋無垢な小学生の、無邪気なおもちゃの範囲で、多いに楽しみました!


元になった顕微鏡の方ですが………
親は、勉強が進むようにと買ってくれたものと思われますが、

そして我々も、きっと学術的に興味を持って研究したものがあったに違いないのですが…

今、この年になって………

姉と私の髪の毛を引っこ抜いて、毛根を超拡大して二人で見たことぐらいしか、覚えてないのは、とっても残念なことです。

父の出張

さっきテレビで「おもひでぽろぽろ」をやってました。
ポンたん、用事があったのでチラ見だけ。
前にも見てるし。

不思議なことにあの家族はちょっと冷たい。
お父さんが千疋屋のパイナップルかなんか、買ってきた時、ちょっとそう思いました。

我が家の食べ物初めて体験は…………………

父が出張のお土産で買ってきた「チーズ」です。
ポンたんが小学校の3~4年くらいの時!

家族全員が初めての体験でした。
そして、みんなが、ウエ~~~~~~~~σ(^_^;)って、感じに!
すぐに大好きになったチーズも、その時は石鹸を食べたような感想でした。

それでも、これが、チーズなんだ!という感動で、父を始めみんなきゃっきゃ、きゃっきゃと盛り上がったものです。

父ポンたんは珍し物好きで、お土産で家族を喜ばせたい衝動の持ち主だったので、出張の度に、いろいろ買ってきてくれました。

ポンたんが幼稚園の時には、フラフープとダッコちゃん!
ダッコちゃんはあの当時、大人も子供もみんな腕につけて歩くほどの大人気!
おしゃれの必須アイテムでした。
私は本来のお人形として、ものすごく可愛がって遊びました。

フラフープも案外習得が簡単で、腰だけじゃなく、首でも回せました。
姉は黄色いフラフープ。
ポンたんは赤と白の縞模様のフラフープ。
二人で、夢中になって回しました。

あと、
泉屋のクッキー🍪
埼玉の五家宝!
岩手の南部煎餅!
丸い羊羹!………これはどこのお土産だったのでしょう。爪楊枝で指すと、羊羹を覆っているゴムがプリュンと剥けて、羊羹だけが手元に残る、手品みたいに楽しいやつ!

あと、
駅弁についてくる陶器のお茶いれ!………今はプラ容器に入ってるお茶も、昔は陶器に入れてあったのです。これはままごとに使いました。

父の出張は、母の骨休みにもなるし、お土産が楽しみでもあるし、父がいれば怒られるようなテレビ番組も見られたので、好い事尽くしでした。*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

25歳にして初めて!

今日は寒風吹き荒ぶ中、自転車をこいで、1000円のヘヤーカットに行ってまいりました。

1000円と侮るなかれ!
イケメンお兄さんの腕の良さは半端ない!
あるいわ、私が良いのか!
けっこう、いつも気に入ったカットをしてもらいます。

ま、いつもって言っても、今日で3回目!

また自転車乗って、行くもんね(-_^)


今や私の愛車となっている自転車。
私が乗れるようになったのは、35年前の25歳の時です。

それまでは乗れなかったのです。
けっこうコンプレックスでした。


姉は誰が教えたわけでも無いのに、家に一台あった男性用の自転車を、もう小学校4~5年くらいの頃には乗り回していました。
その頃の姉は、女の子のままごと遊びや、ゴム跳び、マリつきなどではもの足りず、アパートの男の子達と、自転車でけっこう遠くまでツーリングに出掛けていたのです。

姉や男の子達は、三角乗りというのかな?サドルに座るとペダルに足が届かないため、立ち漕ぎのような器用な乗り方をしていました。

「隣のトトロ」を見た時は、その自転車の乗り方に、とても懐かしさを感じたものです。
今では、みんな身の丈に合った自転車をそれぞれ持っていますものね(^_^)

子供達はみな、たくましく、大人用の自転車を乗りこなしていた時代でした。


運動神経の鈍いポンたんはそのたくましさも持たず、自転車に乗れないまま、25歳になってしまいました。

35年前のことです。



これじゃあいけない、と朝、5時起きして近所の広場で自転車の猛特訓をすることにしました。
毎朝、父ポンたんが指導を買って出てくれました。
ありがたいことです。

かなり時間が掛かりましたが、ポンたんの努力というより、父ポンたんの優しさでやっと乗れるようになったのです。

自転車が、効力を発揮したのは、それから少しして、結婚して子育てをする頃でした。

自転車の前後に子供を乗せ、荷物を乗せ、まあ、走った、走った!

本当にあの時、練習してて良かった☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*


お父さん!ありがとう(((o(*゚▽゚*)o)))


今日は最後に写真を入れてみます。
まだやったことがないもので…………

今日の夕焼けは綺麗でした!
見てね!11月28日の夕焼け


銀杏 散るなり

今日は久々のポンたんお出かけ日❤

銀杏並木の連なる道路は、吹き溜まりに落ち葉が積もって、黄金色の山
🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂

澄んだ青空、白い雲☁☁☁☁☁☁☁☁☁☁☁☁☁☁☁

今日は大事なご用がありまして、数週間前からドッキドキ。
昨夜は今日の行動を頭の中でシミュレーションして、あまり良く眠れなかったのですが、全部、上手く終わりました。

帰り道の銀杏と青空の素晴らしかったこと😘




銀杏の大木が、ポンたんの育ったアパートにも何本かありまして。

50年前、落ち葉を掃除するのは、我々子供会の仕事でした。

竹箒を持って、ポンたん達が一生懸命集めた枯葉は、大人の手で火をつけられて、たき火になるのです。

寒風に冷たくなった手を火にかざして、日曜日の朝の子供会のお掃除が終わります。

塾通いは無かったけれど、当時の子供も、結構忙しかったのです。

火事の後

50年前のお話です。
ポンたんの通う小学校が火事になりました。


さて、ポンたんが無事お家に帰った後は、母親たちの出番でした。

火事のことは何も知らず、お家で食パンを無心に食べていた母ポンたんも、他のお母さん達と一緒に、学校に駆けつけて、後始末です。

ポンたんの教室は焼けてなくて、その隣とそのまた隣の教室が水をざばーっと被っていたそうです。
それを母親達がみんなきれいにしてくれました。

掃除が終わると、母ポンたんはポンたんのランドセルや教科書を持って帰ってきました。


焼けたのは給食室でした。

翌日からポンたんたちは、お弁当を持っての登校です。

いつも給食の量が多くて、目をシロクロさせて食べていたポンたんにとって、お弁当になったのは嬉しいことでした。

しばらくして、脱脂粉乳だけは復活することになりました。

そうです。

ポンたんの時代は、給食に脱脂粉乳が付いたのです。
アルミだか、アルマイトだかのミルクポット、…………………
3~40センチの高さで、あちこちへっこんだりしているミルクポットに生温かい脱脂粉乳がなみなみと入っています。
それを、やっぱり、アルミだか、アルマイトだかのコップにそそいでいく給食当番。

これが、火事になる前の光景でした。


この脱脂粉乳、苦手な子は本当に苦手で、無理して飲んでいる様子は可哀想なものでした。

ポンたんは牛乳系、みなOK*\(^o^)/*
脱脂粉乳も結構いける口で、今でもスキムミルクをわざわざ買って飲んだりしてます。


火事の後、その脱脂粉乳が、牛乳瓶で配られることになりました。

学校からのお達し!
「明日から、牛乳瓶のふたの栓抜きを持ってくるように」


次の日からポンたんは近所の牛乳屋さんでもらった赤い栓抜きを、お弁当と一緒に持って登校です。

この中身の脱脂粉乳、一年後には本物の牛乳に変わりました。

脱脂粉乳が牛乳に変わった♪───O(≧∇≦)O────♪

なんか、日本がすごく文化的に進んだようで、ポンたんにとっては歴史的な出来事でありました。

給食も半年もしないうちに復活しました。

その頃から、給食の量がだんだん苦しくなくなってきたポンたん!
身長が伸び出します!
(((o(*゚▽゚*)o)))

続 避難訓練

冬ざれた空き地で心細く座っていたポンたん達は、迎えにきてくれた先生に導かれ、無事、他の避難場所にいた生徒と合流することができました。

みんなが居たのは学校から1キロ近くも離れたお寺の境内。
ほとんどポンたんのアパートの近くでした。

その辺はお寺の連なるあたりでしたので、各学年、一つ一つのお寺に別れて避難場所を確保したようでした。
2000人近い生徒を無事一人の怪我人も無く避難させた先生方は、大変だったことでしょう。


はぐれたポンたんたちが怒られることは全くありませんでした。

先生方もポンたんたちが居ないのに気づくと、すぐ、避難訓練の時に使ったあの空き地を思い浮かべたようです。
避難訓練は本当に大切です。



小学校の火事は、父ポンたんの会社でも社内放送で知らされたそうです。

しばらくして、父ポンたんのがっしりした姿が境内に現れました。
他の生徒の親達も心配顔に境内にやってくるようになりました。

父ポンたんの姿を見た時、ポンたんの目からちょっとだけ涙が落ちました。
それまで特に怖さも感じず、淡々と避難行動を取っていたポンたん。
やっぱり、小学生にとっては大事件の学校の火事に、ずっと緊張していたものと思われます。
小学校4年のことです。

父ポンたんと手をつないでお家に帰りました。

面白かったのは、私達が玄関を開けると、何も知らなかったらしい母が食パンをかじりながら、びっくりしていたことです。

避難訓練

何事も訓練しておくのはとても良いことです。

ポンたんの小学校でも、定期的に避難訓練をしていました。

ところで、ある日、あろうことか、学校が火事になりました。

休み時間でした。
「火事だー」
と言う声で廊下に出ると、ポンたんたちの隣の隣のクラスまで煙がきていました。

ポンたんたちは、手ぶらでとにかく全校生徒、校庭に勢ぞろいです。

火は、正門近くの給食室から出たとのことですが、ポンたんたちが校庭に並んだ時は、給食室の横の石炭小屋がみごとに燃え盛っていました。

この石炭小屋から、ポンたんたちは毎日バケツで石炭を教室に運び、ストーブを焚いていたわけです。
確か日直の仕事だったと思います。

その石炭小屋が燃えているわけです。

とっても暖かかったのを覚えています。


そこからが避難訓練の本領発揮です!

ポンたんたちは、避難訓練の通り、右手を水平に上げて、左手をその右手の肘に添え、前の人にぶつからないようにして一列になって避難を始めました。

正門あたりが燃えているので裏口からの避難です。

裏口には、近所のおじさん、おばさんたちが並んでて
「頑張ってね」
と、声をかけてくれました。

前の人に続け、とポンたんも一生懸命歩いてました。が、しばらくして、……………


学校の裏口から少し離れたあたりで、ポンたんたち、7~8人だけが取り残された、というか、他に誰もいなくなっていたのです。

不思議です。
訓練では無く、本当の火事です。
誰もふざけもせず、むしろ真剣に前の人に続いていたはずなのに……………

すぐそばが、前回避難訓練の時に避難場所にした空き地でしたので、ポンたんたち7~8人はその空き地でしゃがみこみました。
裏口で励ましてくれていたたくさんの近所のおじさん、おばさんたちも誰もいません。
寒いです。
学校は火事の真っ最中で、戻ることもできません。

さて、ポンたんたちの運命や如何に!

続く( ^_^)/~~~


活字

考えてみると、ポンたんは活字が好きなようです。

高じて大人になってからは、和文タイプを習い、仕事に活かしてました。


小学校の時、学校の近くの新聞社に社会科見学に行ったことがありました。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のアニメーションに、ジョバンニが活字を拾う仕事の場面がありますが、ちょうどあれを大規模にした感じの作業が行われている所を見学して、憧れたものでした。
50年前のことです。
今はもちろん、PCで作ってますよね(^_^)


中学校では、文化部の作業でしょっちゅうがり切りをしました。
鉄筆で原稿を書く、あのガリガリという音が好きでした。

仕事で和文タイプを使っていましたが、趣味で英文タイプもちょっとかじりました。
レッテラブラックのタイプ機は、未だに手元にあります。
タイプライターの音、良いんですよ、なかなか。

和文タイプでは、良く使う決まり切った文句はもう文字盤の上に揃えておきます。
ポンたんのタイプライターには、「拝啓 時下益々ご清祥の段 大慶に存じます」
という文字を並べてました。
たいていの書類はいつもこの言葉から打ち始めるのです。
その他の文字は結構難しい配列になって文字盤に並んでいるので、和文タイプは、まずその配列を覚えるのが一仕事でしたが、ポンたんはこれが好きでした。

仕事を辞め、結婚して程なく、ワープロが出現しました。
ポンたん、これにもすぐ夢中になりました。
これには、英文タイプで培ったブラインドタッチが有効でした。

その後、パソコンでも、この英文タイプで培ったブラインドタッチが有効・・・・のはずなのですが。

英文タイプ、あんまり上手じゃなかったのか、年のせいなのか、

両手で打てることは打てるんだけど………

見ちゃう、見ちゃう、キーボード。

それでも、活字が連なって行く様はなんか快感
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

ブログを更新している今も、なんか、快感*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

ペンフレンド

ブログを始めて一ヶ月経ちました。
ポンたんのブログは、書いている本人だけが楽しんでいる、「おばあさんの思い出話」でございます。

他の方々のブログは写真あり、字そのものにもメリハリあり、行動範囲も広く、とても、興味深いです。
近頃は、知らない方のブログを拝見するのがとても、楽しみになりました。
お子様とこんな風に遊んでるんだ、とか、こんなレストランがあるんだ、とか、この考え方は新鮮だなあ、とか(*^_^*)


ところで、昔から、知らない方の生活を知ってみたい、という欲求はちゃんと形を成して存在していたのです。

ポンたんは小学5~6年の時、学校のクラブ活動で、「ペンフレンドクラブ」というものに所属していました。
これぞ、ブログの初期の形・・・・じゃあないかなあと思いますが・・・・

あの頃流行ったペンフレンド!
雑誌なんかに、よく、ペンフレンドコーナーがありました。
趣味とか同じ人、文通しましょう!・・・・と、自分の住所を載せるんです。
個人情報を守る現在では考えられない、開けっぴろげなものですが、和やかなブームでありました。

ポンたん達ペンフレンドクラブの面々もそれぞれに雑誌で相手を見つけ、手紙をやりとりする・・・・・そんな活動をしていました。
それが、活動と言えるなら。

でもあのクラブ、ポンたん達が作ったわけではありません。
前からあったところに5年になって入ったのです。
今から思えば、学校もずいぶん非行動的なクラブを承認していたものだと思います(*^◯^*)

週一くらいの活動日、ポンたん達は、放課後、一クラスに集まって、十数人が便箋に向かって、ひたすら手紙を書いていたのです。
極めて個人的な手紙を。

ポンたんは雑誌で知り合った同学年の男の子と文通してました。
色気もへったくれもない、今日何を勉強した、とかそんな手紙を2年間続け、中学生になってから、自然と尻切れとんぼになって今に至ります。

お互いに写真を同封したことがありました。

ポンたんの古いアルバムには、中学生の制服を着たその男の子の写真が、まだ、貼ったままです\(^o^)/
あの時のあなた!
お元気でしょうか?
ご健勝、ご活躍、心よりお祈り申し上げます。


続続々テレビ前夜

テレビが家に来る前は、当然ラジオが居間の中心にありました。

ラジオ番組で、記憶に残っているものが幾つかあります。
ポンたんが小学3年以前のことで、うろ覚えのものが多いのですが、

お話でてこい

これは姉が幼稚園の頃のお楽しみ番組だったらしいです。
ドンドコドン ドンドコドン お話出て来い!お話出て来い♫
のテーマ曲で知られてますね

一丁目一番地

ポンたんが幼稚園の頃。
夕方、放送していたような・・・・
遊びから帰って晩御飯を待つ間に毎日聴いていたと思います。

あちらの角のポストから、こちらの橋のたもとまで♫

この主題歌はほとんど歌えます。

まぼろし探偵

やっぱり一丁目一番地の頃の番組
赤い帽子に黒マスク 黄色いマフラーなびかせて♫

と、色彩感覚鮮やかなテーマソング、これもけっこう歌えます。


ホシを上げろ

これは小学校に入ってから、聞いてました。
怖いんですよ。
最初に、トンネルか道路を走る複数の革靴の足音!
ズキューン、ズキューンとピストルの音!

夜の8時頃に放送だったのか、お布団に入ってから、怖くてお布団を被りながら聞いていました。

その他、クイズ番組とか、歌番組とか、思いではまだまだあります。

ラジオには、テレビが来てからも未だにお世話になってます。

テレビに負けず、これからもラジオには頑張ってもらいたいものですね(*^_^*)
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プロフィール

つくし村のポンたん

Author:つくし村のポンたん
中学生だった姉が描いた小学生だった私。
その頃、昭和30年代の思い出を中心にしたブログです。
お金もない!
若さも無い!
無い無い尽くしのつくし村から、あんぽんたんのポンたんが製作中です。

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