夏休みの宿題
夏休みって、そろそろ終わりですよね。
半世紀以上前、小学生だったポンたんは、お盆の終わった頃から、毎年ヒーヒー言って苦しんでいたものです。
もちろん、宿題です。
夏休みが終わることに初めて恐怖を覚えたのは、恐らく小学3~4年のこと。
アパートの四畳半に一週間閉じこもり、泣きわめきながら、数々の宿題を仕上げていきました。
ポンたんが真っ青になって泣きわめくものだから、母が呆れて、スケジュールをたててくれたのです。
ビビリのポンたんはそのスケジュールに従って、毎日机にかじりつきました。
その一週間のうちのある日のことです。
ポンたんはピンクと白の細い縞模様のプリーツスカートを着て、四畳半の部屋で座布団に座っていました。
ふと、宿題の手を止め、目の端の動くものを・・・・
ギャー!
ギャー!
ポンたんのスカートの上に
どっちだったのかなあ
ゴキブリか、カマドウマ
の、どっちかだったと思うけど、とにかくポンたんの当時、1番苦手なものが!
ギャー!
あれは、怖かった!
今だによみがえるあの恐怖( ̄O ̄;)
宿題の方は、夏休みの終わる1日半前に全てクリア!
最後の日は母と姉と3人で街に映画を観に行ったのでした\(^o^)/
半世紀以上前、小学生だったポンたんは、お盆の終わった頃から、毎年ヒーヒー言って苦しんでいたものです。
もちろん、宿題です。
夏休みが終わることに初めて恐怖を覚えたのは、恐らく小学3~4年のこと。
アパートの四畳半に一週間閉じこもり、泣きわめきながら、数々の宿題を仕上げていきました。
ポンたんが真っ青になって泣きわめくものだから、母が呆れて、スケジュールをたててくれたのです。
ビビリのポンたんはそのスケジュールに従って、毎日机にかじりつきました。
その一週間のうちのある日のことです。
ポンたんはピンクと白の細い縞模様のプリーツスカートを着て、四畳半の部屋で座布団に座っていました。
ふと、宿題の手を止め、目の端の動くものを・・・・
ギャー!
ギャー!
ポンたんのスカートの上に
どっちだったのかなあ
ゴキブリか、カマドウマ
の、どっちかだったと思うけど、とにかくポンたんの当時、1番苦手なものが!
ギャー!
あれは、怖かった!
今だによみがえるあの恐怖( ̄O ̄;)
宿題の方は、夏休みの終わる1日半前に全てクリア!
最後の日は母と姉と3人で街に映画を観に行ったのでした\(^o^)/
昭和のラジオ
大当たりー!
朝起きると、まずお湯を沸かして、母と2人でお茶を飲みます。
それから、テレビをつけて・・・・
テレビはどこの局という好みも無いのだけれど、割と多いのが、日テレZIP!
ポン!ポン!ポポポン!おみくじでポン!
ポン!ポン!ポポポン!ハクションでポン!
ポン!ポン!ポポポン!ZIPでポン!
と、プレゼント応募の為のポイントを貯める運試しコーナーが1日に3回ありまして・・・
なんと、今朝は、3回とも大当たりのポンたんでした\(^o^)/
やったー!やったー!やったー!
ところで、今日は高校野球をラジオで聞いてまして、ラジオを聞きながら途中でテレビもつけたのですが。
な、な、なんと!
ラジオの電波の方がテレビより1~2秒早く届くではありませんか!!!
ラジオのアナウンサーが
「投げました!打ちました!」
と、言ってるとき、テレビではピッチャーがまだ振りかぶる前。
バッターも構えてる状態で。
一瞬、ラジオのアナウンサー、予知能力?
なんて、びっくりしちゃいました。
テレビがちょっとだけ遅れるのって、ご存知の方多いんでしょうね(≧∇≦)
最後に、今日、ポンたんが聞いていたラジオをご紹介します。
父が愛用していたラジオ。
もう、30年以上前の物かと。

まだ、とっても良く聞こえますv(^_^v)♪
それから、テレビをつけて・・・・
テレビはどこの局という好みも無いのだけれど、割と多いのが、日テレZIP!
ポン!ポン!ポポポン!おみくじでポン!
ポン!ポン!ポポポン!ハクションでポン!
ポン!ポン!ポポポン!ZIPでポン!
と、プレゼント応募の為のポイントを貯める運試しコーナーが1日に3回ありまして・・・
なんと、今朝は、3回とも大当たりのポンたんでした\(^o^)/
やったー!やったー!やったー!
ところで、今日は高校野球をラジオで聞いてまして、ラジオを聞きながら途中でテレビもつけたのですが。
な、な、なんと!
ラジオの電波の方がテレビより1~2秒早く届くではありませんか!!!
ラジオのアナウンサーが
「投げました!打ちました!」
と、言ってるとき、テレビではピッチャーがまだ振りかぶる前。
バッターも構えてる状態で。
一瞬、ラジオのアナウンサー、予知能力?
なんて、びっくりしちゃいました。
テレビがちょっとだけ遅れるのって、ご存知の方多いんでしょうね(≧∇≦)
最後に、今日、ポンたんが聞いていたラジオをご紹介します。
父が愛用していたラジオ。
もう、30年以上前の物かと。

まだ、とっても良く聞こえますv(^_^v)♪
秋・・・
今日は久しぶりに滝汗を流しまして、
夜になってもまだ暑い・・・
それで、窓を開けてあります。
すると、
リリリリリリリ リリリリリリリ♩
リーン リーン リーン♩
大合唱です。
昨夜も一昨夜も鳴いていたのでしょうか。
私が気にしてなかっただけなのでしょうか。
とにかく今晩は、虫たちの大合唱。
ああ、もう秋・・・・
夜になってもまだ暑い・・・
それで、窓を開けてあります。
すると、
リリリリリリリ リリリリリリリ♩
リーン リーン リーン♩
大合唱です。
昨夜も一昨夜も鳴いていたのでしょうか。
私が気にしてなかっただけなのでしょうか。
とにかく今晩は、虫たちの大合唱。
ああ、もう秋・・・・
ゆーぞーさーん!
半世紀近く前、ポンたんが中学生の時のお話です。
昔、昔・・・
中学の音楽の授業の時間でした。
先生が黒板に
「外山雄三」と、チョークで書きました。
作曲家のお勉強の時間だったのでしょう。
その頃、加山雄三に夢中だったポンたんは、
「そっくりじゃん」
と、心の中で思いました。
一人で、超受けて、辺りを何気無く見回したのですが、みんなごく普通に先生の話を聞いてました。
先生も、そのことには
何も触れませんでした。
ポンたんは、きっと、自分が低レベルすぎるのね・・・と心の中で深く反省したことでありました。
今日、高校野球をテレビで見ていた時です。
作新学院の校歌の作曲者が、外山雄三先生であるのを知り、半世紀前のそんなことを思い出していました。
100均の手芸コーナには、よくハンカチのようにした端切れが売られています。
50×55センチくらいの大きさです。
一枚の歯切れでポンたんが作ったお人形をご紹介します。
この水色のと、下に引いているピンクのと2枚買ったのです。

それから、肩上げをしたお人形も作ったけれど、小さすぎて肩上げが見えなくなりました。

横にあるのは、文庫本を何冊か読むともらえたマグカップです。
だいぶ前の景品ですが、ずっと愛用しています。
昔、昔・・・
中学の音楽の授業の時間でした。
先生が黒板に
「外山雄三」と、チョークで書きました。
作曲家のお勉強の時間だったのでしょう。
その頃、加山雄三に夢中だったポンたんは、
「そっくりじゃん」
と、心の中で思いました。
一人で、超受けて、辺りを何気無く見回したのですが、みんなごく普通に先生の話を聞いてました。
先生も、そのことには
何も触れませんでした。
ポンたんは、きっと、自分が低レベルすぎるのね・・・と心の中で深く反省したことでありました。
今日、高校野球をテレビで見ていた時です。
作新学院の校歌の作曲者が、外山雄三先生であるのを知り、半世紀前のそんなことを思い出していました。
100均の手芸コーナには、よくハンカチのようにした端切れが売られています。
50×55センチくらいの大きさです。
一枚の歯切れでポンたんが作ったお人形をご紹介します。

この水色のと、下に引いているピンクのと2枚買ったのです。

それから、肩上げをしたお人形も作ったけれど、小さすぎて肩上げが見えなくなりました。

横にあるのは、文庫本を何冊か読むともらえたマグカップです。
だいぶ前の景品ですが、ずっと愛用しています。
台風というと・・・
今から60年前、洞爺丸台風というのがありました。
台風の影響で、青函連絡船の洞爺丸が沈んだのです。
千人以上の方が亡くなるという大惨事でした。
ポンたん一家はこの当時、秋田に住んでおりました。
秋田でも、その台風の影響で停電が起きたそうです。
母は、父が作った鉱石ラジオを耳に当てて、この洞爺丸の遭難を知ったそうです。
父は、鉱石ラジオなど機械的なものを作るのが好きな工業系の男子だったのです。
この時の記憶だと思うのですが・・・・
ポンたんは母におんぶされ、強風の中、家に帰ってきました。
父が、家の窓に材木を打ち付けています。
これ、この時の記憶だと思うのですが・・・
だとするとポンたん、2歳なんです。
20年くらい前、母が、あの時は、強風の中、家に帰るのに必死だった、と思い出を話してくれました。
母と、姉と私の3人でおでかけしていたようです。
私は母におんぶされ、姉は、5歳くらいでしょうか、砂混じりの強風の中、一生懸命歩いていたそうです。
父は仕事から早めに帰ってきてたようです。
でも、その時、父が窓に板を打ち付けていたかどうかは、母の思い出話では、確認できませんでした。
というわけで、その記憶が洞爺丸台風の時のものか、はっきりしないのですが、、父が窓に板を打ち付けていた姿は、ずっと覚えていたポンたんです。
それから2年くらいして引っ越ししたので、何れにせよ、4歳くらいまでの出来事です。
台風というと、今だにあの時の父の頼もしい姿が浮かんできます。
台風の影響で、青函連絡船の洞爺丸が沈んだのです。
千人以上の方が亡くなるという大惨事でした。
ポンたん一家はこの当時、秋田に住んでおりました。
秋田でも、その台風の影響で停電が起きたそうです。
母は、父が作った鉱石ラジオを耳に当てて、この洞爺丸の遭難を知ったそうです。
父は、鉱石ラジオなど機械的なものを作るのが好きな工業系の男子だったのです。
この時の記憶だと思うのですが・・・・
ポンたんは母におんぶされ、強風の中、家に帰ってきました。
父が、家の窓に材木を打ち付けています。
これ、この時の記憶だと思うのですが・・・
だとするとポンたん、2歳なんです。
20年くらい前、母が、あの時は、強風の中、家に帰るのに必死だった、と思い出を話してくれました。
母と、姉と私の3人でおでかけしていたようです。
私は母におんぶされ、姉は、5歳くらいでしょうか、砂混じりの強風の中、一生懸命歩いていたそうです。
父は仕事から早めに帰ってきてたようです。
でも、その時、父が窓に板を打ち付けていたかどうかは、母の思い出話では、確認できませんでした。
というわけで、その記憶が洞爺丸台風の時のものか、はっきりしないのですが、、父が窓に板を打ち付けていた姿は、ずっと覚えていたポンたんです。
それから2年くらいして引っ越ししたので、何れにせよ、4歳くらいまでの出来事です。
台風というと、今だにあの時の父の頼もしい姿が浮かんできます。
減りました!
一週間ぶりの、大人だけの夜。
上の孫は、目に涙をいっぱいためて、それでもワーワー泣かなかった分、成長のしるしを見せて、みんなで帰って行きました。
帰ったあと、彼女らが寝泊まりしていた部屋がけっこう片付いていて、娘も、母親としての成長したんだと、ほんとにびっくり!
私は、体重計に乗りました。
やった!
1キロ減った!
去年はお産のための里帰りだったので、2ヶ月以上滞在した娘と孫たち。
その時は7キロの減量に成功した私。
そのあと、2キロ戻り、そして今回の1キロ減。
ダイエットには、孫の世話が超お勧めですよ。
とても、幸せな気分のまま、健康的に減量に成功!
さあ、あなたも今日からダイエット名人。
上の孫は、目に涙をいっぱいためて、それでもワーワー泣かなかった分、成長のしるしを見せて、みんなで帰って行きました。
帰ったあと、彼女らが寝泊まりしていた部屋がけっこう片付いていて、娘も、母親としての成長したんだと、ほんとにびっくり!
私は、体重計に乗りました。
やった!
1キロ減った!
去年はお産のための里帰りだったので、2ヶ月以上滞在した娘と孫たち。
その時は7キロの減量に成功した私。
そのあと、2キロ戻り、そして今回の1キロ減。
ダイエットには、孫の世話が超お勧めですよ。
とても、幸せな気分のまま、健康的に減量に成功!
さあ、あなたも今日からダイエット名人。