とと姉ちゃん、そして母❤️

もうちょっと朝ドラの話題で引っ張ります。

「とと姉ちゃん」の3姉妹。
末っ子がちょうど、私の母ぐらいの年齢かと。

ポンたんの母も小学生の時、上2人の姉が女学生だったので、姉妹関係は良く似てるなあと思いながら、ドラマを見ています。

毎朝15分のドラマの最後に、一般視聴者からと思われる古い写真が添えられてますね。

昭和3年とか5年とか。
みなさん、趣のある家族写真。
その時代の母の写真が、我が家にもありますが、母がつけてるエプロンとかが、けっこう時代を感じさせます。
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これがポンたんのお母さん。
かわいいでしょ❤️

昔々の写真って、面白いなあ、と毎日楽しみにしていたら、時々、昭和20年代の写真も出てきましたよ。

ありゃ、まあ、もうポンたん、生まれてますし。
なんと、こりゃ、もう、ポンたんの写真もこの並びにくるのかあ!と少しびっくり!


さっき、ネットのニュースで歌丸さんが「笑点」の司会を辞めるということを知りました。

時が流れて行く寂しさを実感。

さて、「とと姉ちゃん」も始まったばかり。
母の生きた時代を、「とと姉ちゃん」のドラマで、なぞりながら、見ていきたいと思うポンたんであります。

そして森村桂さん…

とこうするうちに、NHKの朝ドラもすっかり変わり・・・・
(今頃かい!)

広岡浅子さんにさよならし、今度は「暮しの手帖」の設立者が主人公。
実在の女性の人生ドラマが続いてます。

「暮しの手帖」は、多くの日本人に深く馴染んだ雑誌でありましょう。
定期購読こそしてなかったものの、ポンたんの結婚前には、いつも、家庭のどこかに置いてある本でした。

花森安治さんの描いた表紙は、まさに昭和の香りが漂うものでしたねえ。

ところで、「暮しの手帖」とくれば、連鎖して「森村桂」さんが浮かんでくるポンたんです。

ポンたん、将来の選択に悩んでいた頃、森村桂さんのエッセイなどにものすごく影響を受けたものです。

うん、本人のやる気で、どんな生き方でもできるんじゃないか?
南の島で、たくましい男性にプロポーズされるかもしれないし。

とにかく、すごく勇気づけられたものです。

その森村桂さんが少しの間働いていたのが「暮しの手帖」社。

暮しの手帖では、家電や、家事に使う道具の性能を徹底的に調べて、その結果をきちんと誌上で発表するので、我々消費者はとても信頼していたものです。

森村桂さんのエッセイを読むと、そのまじめな調査方法がよくわかりました。

森村桂さんは短期で「暮しの手帖」社を辞め。南の島に行くわけですね。
そして島の村長の息子かなんかにプロポーズされたり!

大好きな森村桂さん。
晩年、ポンたんのわからないところで、うつ病で苦しんでらしたとか。

でも、ポンたんには、今でもキラキラ輝いている桂さんです❤️

小学校の映画鑑賞会

前回書いた、ポンたん、小学校の時の部活は映画放送部。
これはきっと生徒会関係の部ですね。
だってポンたん、普通のクラブ活動は、前にも書いた「ペンフレンドクラブ」だったんだから。
ちょっと根暗な「ペンフレンドクラブ」に比べ、映画放送部…略して映放部は、一面体力勝負な所もある部。

年に数回ある映画鑑賞会の時、我ら映放部は、その準備をするのです。
全校生徒2000人が入る講堂の床に、ゴム製のシートをひくのです。
そのひと巻ひと巻の重いこと。
担いで運んで敷き詰めて。
暗幕引いて暗くして。
結構男女平等でがんばりました。

苦労して会場を設定して、また片付けて。

スクリーンは舞台の壁に貼られた布。

悲しいかな、そうやって観た映画の内容を、今ポンたんはすっかり忘れてしまってます。
年、取っちゃったもんなー。
2つだけ覚えてるのが、「月光仮面」!

それと、題名はわからないけど、清川虹子さんがチンドン屋をやりながら子供を育てる内容。
お前の母ちゃんチンドン屋!といじめられる子供が、一生懸命仕事をしている母の姿に励まされ、大事なものに気付く、という教育的な内容のもの。

この2つしか覚えてません。

日本映画「刑務所の中」原作花輪和一……ご覧になった方……いらっしゃいますか?
刑務所の中でも、映画鑑賞会があるのですね。


あの映画に出てくる刑務所の映画鑑賞会によく似た、ポンたん小学校時代の映画鑑賞会でした。

もっとも、「刑務所の中」の映画鑑賞会にはお菓子が付いてましたが。
(わお!小学校より豪華!)

訂正したい箇所あり!
追記、読んでね❤️

more...

地震

日本は地震の多い国だということを、ポンたんはあまり認識せずに、子供時代、青春時代を過ごしました。
忘れてるだけかな?
経験してないような気がするんだけど。
でも、はっきりした地震の記憶が1つだけあります。

それはポンたんが小学生の時。
大昔でございますよー(^-^)
新潟地震と呼ばれるものです。
ポンたんはその頃仙台市に住んでいました。

そして、校内の放送の活動をしてました。
ポンたん、アナウンサーでございましたのo(^▽^)o

ガラガラ声で低音のポンたんの声が、逐次校内に流れていたのです。

あの日はお昼の放送の担当でした。
みんなが給食を食べている時に、楽しい番組を作って校内放送で流すのです。

お昼の放送を終え、取っておいてもらってるポンたん分の給食を食べるべく、わが教室へ急いでる時でした。
校舎と校舎の継ぎ目、渡り廊下を飛ぶように走っていると、身体がふらついて思わずしゃがみ込んでしまったポンたん。

校庭が波打っていました。

仙台は震度5だったらしいです。

日本海側では大きな被害が出てました。

地震、というと、結婚前のポンたんにはそれしか思い出す記憶がございません。

結婚してからは、お腹の大きかった時の地震。
旦那と喧嘩した時の地震。
そして、阪神、東日本と、人生長くなる分、地震の思い出も増えてしまいました。

まだ、収まろうとしない熊本地震。

どうか、どうか、早く揺れが収まってくれることを願うばかりです。

不安

娘たちの引っ越しもなんとか落ち着き、孫たちも元気に学校に通いだした模様。
もう、ばあちゃんの出番は無いわい。

ってなわけで
ハーイ everybody!
ご機嫌如何?
なんて感じで、久しぶりのこんにちわ、をしようと思っていたところ・・・・

昨日から不安感に押し潰されそうになってしまい。

東日本の震災の時は、認知症の母はまだ介護サービスをどこも受けていなかったので、とにかく母を不安にさせないように、ガスも水道も止まってはいたけど、家族みんなで明るく笑顔で過ごしていました。

ポンたんの住んでるところは家屋倒壊が少なかったので、避難場所にみんなが避難するっていうことはなかったけど、もし、そういう事態になったら、どうしようと思ってました。
認知症も要介護4くらいでしかも歩き回れるとなると、集団の中でどんな事態になるか。

でも、これは、ポンたんの家に限ることではもちろんありません。

今、熊本で、その周りで、同じ状況の家族は無い・・・なんてことは無いでしょう。
そして小さいお子さん、赤ちゃんをお持ちの家族。

その方たちが今、どうなさってるかと考えたせいか、昨日から不安で。

どうか、1人でも多くの方たちが救われますように。

重大なお知らせ

ハーイ!エブリバディ❤️
4月になりましたね。
以前にも書かせていただきましたが、これから、ポンたん、孫たちや、孫たちや、孫たちのことで、ちょっとばっかし、気が回らなくなるので、ア リルビ ブログを休ませていただきます。
はい、そこの君、泣かない、泣かない。

では、すぐにまたシーユーアゲイン\(^o^)/

忘れないでねー(^^;;
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プロフィール

つくし村のポンたん

Author:つくし村のポンたん
中学生だった姉が描いた小学生だった私。
その頃、昭和30年代の思い出を中心にしたブログです。
お金もない!
若さも無い!
無い無い尽くしのつくし村から、あんぽんたんのポンたんが製作中です。

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